あおと友達
仲良くしていた人と、急に仲良くできなくなる瞬間がくる。僕は友達が少ない。ラノベのタイトルにあったような。たしか通称『はがない』。略称でドキッとした記憶がある。僕はまだ全部あるよ。しっかり歯磨きも定期検診もしてるもんね。
話が逸れた。友達が少ない。サクサクリセットするせいである。ちょっとでもやだなと思うともうだめだ。限りなく0か100かで生きてる。
仲良しの頃はとても楽しい時間を過ごせたような気がするし、僕が目を瞑れば今も仲良くできてたかもしれない。
これは絶対に許せないぞという一線を越えられたから。好かれたくて合わせすぎて疲れたから。僕ばかりの熱量で、相手からの反応が鈍くなったから。
理由はそれぞれ僕の中ではあって、でも相手からしたら急にサクサクっとブロックとか迷惑メールフォルダ行きとかされるもんだから、溜まったもんじゃないかもしれない。
かつて、関係を解消したのに数ヶ月か何年かを境にまた連絡を寄越す人の気がしれなかった。
また、お友達からやり直せないかな。そんなふうに言ってみたくなる気持ちが、最近ほんの少しわかってきた。一度は仲良くなれたし、好きなところもあるし、趣味の合うところもある。
でもやっぱりわかりはしても、僕は連絡できない。また傷つけたくないから。いつまたどこで僕が嫌になってしまうか、僕にもわからない。1度嫌になってしまったものは、もう完全にきれいな状態にはならないと思う。
だから、僕が知らないところで幸せになっていてほしい。間違っても僕に連絡を寄越そうとしないでほしい。
ほんときまぐれだけど、たまに君のこと考えてるよ。元気かなって。僕の知らないところで幸せに過ごしていてね。素敵な出会いがありますように。
あおの外部リンク
はてぶ(URLの都合で移動しました) https://ocomori-ao.hatenablog.jp/
note https://note.com/ocomori_ao
Twitter @ocomori_ao
随時更新
あおとリセット
穴掘って埋まってますぅぅ
いつかアイマスの雪歩ちゃんのように、埋まりたい。
穴を掘りたい生涯を送って来ました。
少し変えるだけで間の抜けた、下ネタのような一文ができてしまった。太宰先生もさぞやご立腹だろう。
あおは、くだらないことで日々頭の中を満たしているため、ストレス耐性が無に近い。
いい大人なので表に出さないように努めるが、ダメージを与えられるとみるみるすり減る。
一部の心を許した人間にだけそのダメージを見せ、慰めてもらいたがるので、高頻度すぎて場合によってはその人もすり減る。
ぬいぐるみなどの実害がない無機物に変えればいいのかもしれないが、どうしても人がいい。
じゃあストレスを減らせばいいじゃないというわけで編み出したのが、リセットである。
ゲームのリセットボタンよろしく、いきなりブチッと消す。
無理となったら、サクッと視界から消してしまおう。
昔よりさらにいい大人になったので、あんまりしてはいけないことだなとは思っている。何より人が関わると仁義に反する。しかし、そう簡単に人間変われない。
この癖の副作用なのか、やたらとお掃除好きになった。いや、友人恋人問わず、付き合う人間に合わせてカメレオンのように服装をガラッと変えてきたので、これも性分なのかもしれない。
そんなこんなで、今回はブログのお引越しに至った。
X(Twitter)のアカウントが、以前取得したものと同じもので作れたのが発端である。
それならブログも揃えちゃおうかなって。そう、お察しの通り、僕は形からなんでも入っちゃうマンだぞ。
勢い余って、昔作ってたサークルロゴも発掘してきちゃって、そのうちイベントなんかも出ちゃうかもしれない。
いやそれはまだ勇気が出ないな。やめとこ。
旧はてブは2016年から、当時のストレス軽減のために作った。それ以前のものもたくさんあったが、今は全てない。消したというのもあるが、ほとんとがあとからサービス終了となり、もう欠片も残っていない。
ブログというブログサービスほとんど作ったことがあり、偶然退会せずに非公開で残したはてブがこうして生き残ってくれていて何よりである。
今回はてブからはてブにインポートエクスポートでお引越ししたのだが、これがとても便利である。カテゴリまでサクッと移動してくれている。(たぶん)
元々はてブに愛着はあったが、はてブが続く限りはてブと共に歩もうと決意を新たにした。
ま、noteも作ったけど。
浮気じゃないから。本命ははてブだから。
ね、ね!だからいいよね?ね?
あおと最近飲んでいるもの
今週のお題「最近飲んでいるもの」
たまにはお題に沿って書いてみようかなという気持ち。
寒くなると、たいてい温めた麦茶を飲んでいる。毎日のようにチョコレートをもぐもぐ食べているので、あまり甘い飲み物を飲む機会がない。
日に何リットル飲んでいるかわからないが、1リットルの水出し麦茶を、日に2回は作ってる気がする。ということは、2リットル以上飲んでるのかもしれない。
それだけ飲んでいるせいか、冬はやたらとトイレが近い。飲まないよりはいいだろうと思って飲んでいるが、果たしてどうなのやら。
出先ではホット飲料を買って飲む事が多い。
なにかご飯と合わせるときは、ほうじ茶。おやつと一緒か、めぼしいおやつがなければ甘い飲料だけでもとなると、ココアかミルクティー。
家でも作ればいいんだろうが、買っても続かない。粉を例年余らせてしまうので買わなくなった。
おまけに、年々カフェイン耐性が弱まってきているのか、紅茶やコーヒーは1日の早いうちに飲んでおかないと睡眠に差し支えるようになってきた気がする。
丁寧な暮らしに憧れ、いい急須、いい茶器や茶葉に、お気に入りのティーコージーと揃えてみたくなったことある。
ただ、残念なことに丁寧な暮らしというのは大変無精と相性が悪い。
まず探すところから荷が重い。次にいいお値段で足踏みする。そうこうしている間に欲する季節が去る。
いつか無精に勝てたときのために、のんびり候補は探しておこうかしら。
ホントに勝てる?白湯飲むときはお湯沸かさずに水道水のレンチンで済ますのに?
「最近飲んでるもの?コレ」
となんかイケてる渋い急須を傍らに、どっかいいとこで買った緑茶を、というのがほんとは理想。
緑茶じゃなくて紅茶でも茶葉の種類は問わない。なんかこう、おしゃれな雑誌に載りそうでTHE丁寧な暮らしみたいな、格好をつけたい。
もう書いてる時点から上滑りがすごい。全然似ても似つかぬ性質すぎて来世に期待するしかない。
三つ子の魂百までというか、こりゃもう治らんね。
さて。何回目かの麦茶レンチンして、チョコレートを食べて、しっかり歯磨き済ませたら今日こそ早く寝れますように。
あおとコインランドリー
コインランドリーを、ここ3.4年で急激に利用するようになった。
あおという人間は大変いい加減にできているので、おふとんは干せば、毛布はギウギウ押し込んで洗濯すれば、なんとかなってきた。
最初は、洗濯機が壊れたとかのっぴきならない事情で利用した気がする。
それから、サクッと乾燥させるには便利が良いし、ホカホカ洗濯物を持ったまましばらく歩くのも悪くないな(特に冬)という気持ちになり、ヘビーにではないものの、愛用させてもらっている。
5.6年以上前になるのだが、コインランドリーヘビーユーザーの話を聞いたことがある。その人いわく、待っている間の時間が至福であるという。
生憎生活範囲からは遠いのだが、最近はカフェや飲食店が近くにあって、待ち時間をより有意義に過ごせそうだ。
僕の趣味といえば散歩や鑑賞、読書など静的なものがかなり多く、コインランドリーは大変相性がいい。
こうして今も、のっぴきならない事情で深夜のコインランドリーに入り浸りながらブログ記事を考えるのも乙なものである。
僕だけかもしれないが、どうしても何かと考えてしまう時間が長い。頭をシンプルにするにはひたすら歩くかなにかに没頭するか、こうして文章を考えて感情の整理をするに限る。
洗濯物が回り続けるのを見るのもよし、新しいネタ探しをするもよし。
と今はこうしてわりかし楽しめるのだが、話を聞いたばかりの5.6年前には、どうも馴染める気がしなかった。
コインランドリーは、時間制限付きで行動範囲や予定を若干拘束される。
あまり予定を詰めすぎるのは、好きではなかった。そして、急かされるのはもっと苦手だった。
当時は、外に出たら何かしらしなければ家にいるのと変わらない、何かしなければという思いに、駆られてたのかもしれない。
そう思うと、僕も少しはゆとりが出てきて余裕を持てるようになってきたような気がする。
WiFi引いてほしいなとか、冬になるとトイレが近いのでトイレ併設していてほしいなとか、外に自販機とゴミ箱はほしいなとか、カード対応してほしいなとか、近所のコインランドリーに求めることは利用するたび増えていくが。
忘れないようにお知らせしてくれる機能や、空き状況がわかる機能など、コインランドリーは日々進化していく。
シェア需要が高まる昨今、拡大していくコンテンツなのかもしれない。してる最中なのかな。
ボーっとしている間に洗濯が終わった。これから帰ってすぐ僕は寝る。
乾燥機から出たばかりのホカホカが好きだ。だからずっと布団乾燥機がほしい。毎日ホカホカで眠りたい。そしたらもっとよく眠れる気がする。
オリオン座が見える季節になった。布団を丸めて抱え、見上げる夜空。
空気がひんやり冷たくても、今日はホカホカがいるから大丈夫。おうちまで暖をよろしくね。帰ってからも温かいうちに入るから待っててね。
あおと杞憂
もし隕石が落ちてきて、地球が消滅したらどうしよう。
そんな荒唐無稽な心配事、あなたはしたことがあるだろうか。
僕はある。それで眠れなくなる日が過去にあった。
ちなみに、天が地に落ちてどこにもいけなくなったらどうしよう、みたいなことを考えた人が昔いたよ、というのが、杞憂の故事(元ネタ)だ。
天が地にっていくらなんでもそれはない。なんて思う僕だが、世の中の一般論と並べれば、隕石もまたどっこいどっこい。
今は昔ほど考え込まなくなったが、ifでネガり続ける。するしないで迷えば、する前からどうせ無理と決めつけ、する前から諦める悪癖もある。
話しやすいしついつい楽しくてめちゃくちゃ話しちゃうけど、僕ばっか話しすぎじゃない?
てかこんな話ばかりでいいの?大丈夫?
楽しいって言ってくれてるし大丈夫だよね?
話してなくても心地良いけど話ししたほうがいいのかな、話しすぎかな。
とここでだいたい1周して、これを周回する。終わらん。えーい強制終了じゃ!
話しても話さなくても一緒にいたら僕も相手も楽しい!大丈夫、終了!と強引に終わらせる。
巷ではやってるらしい?mbti診断(16personalities)では、INFP(仲介者)だった。
診断大好きだし空想ばかりしてるし、単純作業は居眠りするし、向いてる職業何??一人で作業して他人を介したくないって悩みまくってたし、当たってるなと思わされた。
放っておくと一人大反省会でネガり続けるので、大丈夫大丈夫と笑い飛ばしてもらえると大変勇気づけられる。
そして大丈夫な気がしてきて、ほんとに大丈夫になる。メンタル構造どうなってんだ?
同時に大丈夫大丈夫と日頃から周りに虚勢を張る達人でもある。
これまた不思議なことに大丈夫と言ってると大丈夫だし、不調にならない。
別人のような気がしてくるが、これまた同じ僕なので仕方ない。
大丈夫って書きすぎてゲシュタルト崩壊起こしそう。太や文が混じっててもわかんないんじゃないこれ。
悩み相談しても、話してる時点で消化して聞いてもらえた安心感と心地よさで、なんとかなってしまう。
たぶん他に考えたいことがいっぱいで、そんなことでキャパ割きたくないのかもしれない。
人と会ったりきれいなものを見たりすると、新たな刺激になって、たくさんいろんなことを書きたくなる。
揺れる水面、光の反射できらめく色。淡い色彩で顔色のわからぬ人が僕を見る。
ちぎり絵のような万華鏡のようなタッチが、僕の脳内を侵食する。
精神が旅する。とても薄い青と桃と橙の上を滑る。夜明け、昼の日差し、黄昏どきが、目まぐるしく明滅する。
ひと目見て心奪われる。きれい。かわいい。うつくしい。消化しきれない感情を、丁寧に引き出しに入れていく。
口をついて出るのは、フィルターをこさない言葉。その言葉も同じように記憶の引き出しにしまわれる。
気温、熱気、高揚。
新しくインプットされると、アウトプットも味が変わる。色付いた文章はどんな化学反応を起こすのか。
せっかく文字カウントもついて校正もしてくれるアプリ発見したのに、いつものスマホからブログ記事に直打ちスタイルなんですけど。
ま、いきなりはね。書いてる途中に発見しちゃったしタイミングも良くなかったよね。
使う使う、きっと使う。
今日はそろそろ眠気もきたし、いい感じに脳内疲労してるし睡眠もたぶんいい感じ。
きっと明日も良い日って思えばいい日。
杞憂の反対は?もう寝る前にそんなこと考えなくてもいいじゃん。今日は寝ちゃえば。おやすみ。
あおと煙草
僕は非喫煙者。吸いそうと思われたこともないし、これからも吸うつもりはない。でも、煙草のパッケージは嫌いにはなれなくて、今に至る。
秋の夜長というかもう夜中も深まって下手したら朝じゃんってなりそうな今、頭に思い浮かんだのが煙草だった。なんでや?
吸っている誰かを見るのは好き。でも喫煙所にわざわざ行くほどではない。そもそも赤の他人に興味を持てない。知ってる人のことだけ知りたい。そして歩き煙草はダメゼッタイ。
ちなみに喫煙者は、吸ってなくても会った瞬間にわかる。今のところ外したことはない。警察犬か。残念ながら、煙草に詳しくありませんで、利き煙草はできないけどね。
最初に覚えた煙草は、父が吸うショートホープ。
赤ラークは祖父。マイルドセブンは叔父が吸ってた。
昔は随分と喫煙環境がゆるく、部屋の至る所に煙草の煙が漂っていた。駅のホームも喫煙所があったし、大抵の飲食店は喫煙可能だった気がする。
そして、昔はもっと歩きながら吸う人がいた。
所変わって僕の記憶は、一気に2000年代に。
世の喫煙環境が厳しくなり、僕が初めて就職したところでは、喫煙は規定場所のみ。
指導係は喫煙者で、吸わない僕はなにか話があれば喫煙所まで出向き、煙草の煙と共に色んなことを教わった。
喫煙所は様々な煙が入り混じり、吸わない僕の服にも香りが移る。煙草の煙は未だに相容れないけど、残り香は物によっては悪くないなと思ってしまう。
長く過ごせば自然と銘柄も頭に入る。
マールボロ緑。赤茶のキャメル。ラッキーストライク。パーラメント。JPS。
煙草も含めての、その人。街なかでたまに懐かしい記憶が蘇るのは、どこかで同じ煙草を吸う人と遭遇したからかも。
今も吸ってるのかな。電子タバコに鞍替えしてるかな。もうやめちゃったかな。
喫煙か禁煙か。お店の二択があれば、禁煙。残り香を残したくはないので、家に帰れば即洗濯、即お風呂にする。
ただ、煙やぽつんと光る赤い火は、記憶に留まり、僕の心を少し豊かにする。
煙草は身体に悪くて、人の身体を蝕んで、やめたほうがいいはずなのに、煙草を吸う人は皆、吸っている瞬間、たいそう穏やかな顔をしている。
中にはイライラしかめっ面で吸う人もいるのかもしれないし、今まで私が見てきた人たちにも、そんなときがあったかもしれない。
ただ私の記憶には、他のどの瞬間よりも幸福そうな顔だったようなそんな気がするだけ。
芥川龍之介の短編に『煙草と悪魔』という話がある。これが短いながらも考えさせられ、読後しばらくぼーっとしてしまう。重ための煙草を吸った気分。
芥川自身もかなりのヘビースモーカーだったらしい。煙草を吸いながらこの話を書いたと思うと、また考える要素が増える。
一本の煙草は、だいたい真ん中を少し過ぎるまでに、消されてしまう。
あの短い時間に、人は少しだけ幸福になる。
そして人を幸福に導いた本体はネジネジされ、灰皿にポイとされるわけだけど、吸口は茶に、先端は黒ずんで、哀愁を帯びる。
生まれ変わったら一度ぐらいは吸ってみようかな。そしたらなにか違う世界が見えるかも。
行けたら行くわ、じゃなくて、吸えたら吸うわ。
これ、365%絶対吸わんやつな。