あおづくし

創作、エッセイなど。不定期更新です

あおと通過儀礼

イニシエーション・ラブ』というお話がある。最後にどんでん返しのある作品として話題になったこともあり、知っている人もいるかも知れない。

僕は、イニシエーションとは通過儀礼だと、この本から学んだ。

そして、推奨年齢で経験しておくべきことをスルーした結果、僕は妙な進路変更をする台風のようになったのでは、と疑念を抱いた。

 

頭にちらつくのは、「アタック!ギャグマンガ日和」のとある一節。(アニメ「ギャグマンガ日和」の主題歌)

"私の根暗は 生まれつきだけど あなたのソレは 二十歳過ぎてから "

具体例をあげていくと、自虐ネタにしかならないので割愛する。

 

少し話はそれるが、最近しょこたんの「年齢はレベルやカラット」という趣旨のツイートを拝見し、非常に心に優しく響いた。

要は、したいと思ったときにしたいことをすればいい。遅すぎるなんてことはない、ということだ。

まさにその通り。

なんだが、いざしてみると、最初は塩梅がわからない。

関西弁で言うところのイキリ。妙に肩に力が入り、こなれてないのが丸出しなのである。

 

習うものではないし、経験していきながら会得していくものなのだろう。

いやしかし、やはり、相応の段階で経験しておいたほうが良かったのではと思わされる。

 

年々融通もきかなくなり、頑固で保守的になってきているような気もする。

自分の型があり、許容を越えると異様に渋る。

そのとき心が楽しくても、あとから身体が悲鳴を上げることもある。

たとえば、高熱で寝込む。あるいは、しばらく耳鳴りが止まらない。あげく、寝付きが悪くなる。そして、朝にも続く倦怠感。

 

高揚感だけでアクセル全開はいけない。石橋は叩いて渡ろう。

身体が教えてくれるのかもしれない。

元来、熱しやすく冷めにくい。影響されやすく、好きな人の好きなものを好きになる。その人との関係が切れても、変わらず好きでいるものもある。

 

無関心で疎いものだらけだが、浅くでも知っているものがあるのは、僕と関わってくれた人たちのおかげ。

 

僕と画面の向こうにいるあなたは、通過儀礼なんてもので片付けないで、一生付き合っていけるかしら。

すぐ一生とか死ぬまでっていうと、「重たい」「めんどくさい」と言われる。言われなくても態度で示される。

でもできることなら末永く付き合いたい。

 

一度心を開けば、押し売りのように深くズカズカとめり込ませていきたい。

諸々の犯罪行為にならない程度で。

 

昔は思いをほとんど口に出せなかったし、押しも弱かったし、何でも合わせてた。

おかげで代替案の「書く」に出会えたわけだが、昔から伝えられていたら、今頃適度で適切な人との距離をはかれてたのではないか。

 

あらゆるifを考え夜が深まる。

そもそも文章は夜中に書くもんじゃない。

ラブレターは夜中に書くなって言うでしょ。

 

いいじゃん。書きたいときに書けば。

僕は今の僕、結構好きよ。なんかいい感じ。

急に筆が乗ったのはいいけど、もうこんな時間には変わりない。明日もあるでしょ。はよ寝ろ。

寝ます寝ます。もう寝ますよ。おやすみ。

あおと創作

やめたり始めたりしているが、僕が最初に創作を始めたのは中学生の頃だ。

 

当時流行っていた乙一の『君にしか聞こえない』、ハリーポッターシリーズ、『DEATH NOTE』を混ぜ合わせた、現代を舞台にした恋愛小説が、最初に書いた作品。

タイトルを『願いの哲学』という。

 

これは恐ろしいことに高校の頃出した学内のコンクールで佳作を取り、製本化されてしまって、高校の図書館の片隅に今も眠っている(こっそり処分されてるかもしれない)。

実家にもある。私が存命中は時々思い出して読むと楽しい。

そして中2全開すぎるため痛みを伴う面白さがある。願わくば他人に読まれたくないので、私の死後焼却処分するか、棺桶に入れてほしい。

 

当時生意気なことに自分のパソコンを持ち、フロッピーディスクUSBメモリ32MB(当時はまあまあ高価だった)を持ち、色んなものを書いては保存していた。

大学ノートにも随分たくさんの話を書いた。未完のものも多い。

 

話はそれるが、僕は明治くらいの作家が好きで、テレビで特集されてたら当時からよく見ていた。大人になってからは文学館に行くようになった。テレビでも文学館でも、恋文やら書き損じやら、当事者ならそんなもの掘り起こさないでと思うものまで公開されている。

 

さて、僕は大変な自信家で、中学3年生の頃、最年少芥川賞が2名という大変刺激的なニュースが話題になった。

恐ろしかった。僕が有名になればあれやこれやの恥ずかしい記録が表沙汰になる。

最年少芥川賞を更新する気まんまんだった僕は、

断捨離癖を加速させた。

 

過去作に関しては本の状態で残った高校在学中の3作品と、大学在学中の部誌2冊を残すのみ、データや大学ノートに書いたものはすべて処分した。

かつて、文学フリマというイベントに、令和になった初回、出させていただいたのだが、そのとき出した3冊もWordデータ以外は何処かへ霧散してしまった。

 

しかし、残念ながら僕は、地味で人見知りで、なぜか大変目立ちたがりというややこしい性質を持ち合わせていた。

卒業文集や寄せ書きに恥ずかしいことを書くこと(もちろん当時は恥ずかしいと考えていないから書けた)や、情熱を抑えられず好きな人にお手紙を書くことをやめられなかった。

 

昔のような謎の自信はもう持ち合わせていないが、もし仮に僕が表舞台に出たら、それはそれは恥ずかしくてたまらないものが世の中に溢れまくるだろう。

今もどこかで生活する、僕を知っているあなたへ。僕が書いてよこしたものは捨ててください。今すぐ。

 

なんて書いておきながら、今日ものちのち恥ずかしくなる文章を書いてしまう。

何を言う。恥ずかしいもんか。見てほしくて書いてんですよこっちは。

いやでも忘れて、見たら忘れて。

いや、やっぱり覚えててほしいかも。

だって僕、書くの好きだから。つい書いちゃう。書いたら見てほしい。見るだけでいい。

そして、そういや昔、こんな人がいたなって、いつかどこかで思い出して。

そしたら僕、とっても嬉しくて、嬉しすぎて泣けちゃうかも。

あおの取り扱い説明書

はじめまして。もしくはお久しぶりです。

尾古森あおと名乗っているものです。

好きなもの

お昼寝 空想 創作 芸術鑑賞全般 〇〇診断 お散歩 多機能なもの 収納力高い収納 ポッケたくさんある服や鞄 暖かい場所 温厚な人 僕と出会って仲良くなってくれた人たち スケルトンでネジとか歯車見える仕掛けのもの 本 紙 万年筆 革小物 銀色のキラキラゴツゴツしたもの 青色 空 星 海 川 田園風景 城 夜景 ライトアップ 廃墟 工場 ディストピア感 ファンタジーな雰囲気 SFぽい感じ 怪奇(文章専門)ミステリ 純文学 謎解き 雑学 科学や化学(但し難しいことはわからない) 鉱石 虫 動物(特に小動物) うなぎ たこ じゃがいも 魚 鶏 海老 里芋 くるみパン 軟骨の唐揚げ アヒージョ イカ焼き(コナモンのほう) 刺身 生肉 酒のアテ関連 アイス(特に果物系) 求肥 みたらし団子 シュークリーム チーズケーキ フルーツタルト エッグタルト クリームソーダ スコール(微炭酸乳酸菌飲料) ジンジャエール いかみりん ぽたぽた焼き 素焼きミックスナッツ 高カカオチョコ

 

嫌いなもの・苦手なもの

寒いところ ゴから始まる太古から生きているらしい口に出せないほど禍々しい虫 数字 数学 算数 地図 怖い雰囲気(ビビリです) 騒がしすぎる空間(声が小さいので) 乗り物(三半規管よわよわ) 否定・正論で論破する人(泣きたくなる) 誰かが傷つく嘘 過剰に味覚が刺激されるもの(極端に辛いとか。何事もほどほどで) ノリを求められること(照れくさい+人見知り) せかされること(なるべく急ぐけど……) グロテスクなもの(文章なら平気なこともある)

 

一人称 僕

長年愛用している書くときだけの一人称。癖以外の何物でもない。なんとなく書きやすいし、ほかは違和感あるため。

 

性格

優しいに定評ありまくり 自分にも他人にも甘い まじめ おおざっぱ 慣れるとめちゃくちゃ喋るがだいたい話聞く側 人見知り(昔よりマシ) びびり

 

機嫌が悪いとき、落ち込んでるとき

人に見せないと思うけど、機嫌が悪い理由を婉曲的に話してるか、回線ショートしてぼーっとしているか、めそめそしてるので、喉を枯らさない程度に温かいお茶を与えつつ、回復を待ってください

寒い時期以外は、ポコポコと適度な感覚でアイスの実を放り込んでいれば、なんとかなります

さみしがりなので去られると落ちこみます

 

思いついたら更新します

よろしくお付き合いください

あおと本

めちゃくちゃ久しぶりにブログを再開したら、3年以上の歳月が流れていました。

江戸時代の俳人松尾芭蕉も『奥の細道』で

「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり(月日は永遠の旅人であり、やってきては過ぎていく年も旅人である)」

と書き記していましたが、人生とはまさしく旅人と思う日々です。

人生何が起こるかわからんなと思いますし、ややヤミヤミしてた直近3,4年も過ぎてしまえば「ま、そんなもんか」って感じです。

(全然関係ないしビジュアルしか知らないけどヤミカラスっていうポケモンかわいい。好き)

連携していた同名義のTwitter、(今はXになったね)消去してしまったため、かつての僕を知る人はもういないかもしれませんが、同じ僕という一人称を使います。

初めましてな方のために僕の取説2023(という名の自己語り・自己紹介)も後ほど別記事で。

なんかついついかしこまっちゃって、かつてのエッセイノリになかなかなりにくいのは、過ぎた年月のせいかしら。

僕も大人になっちゃったのかな。

いつまでも厨二でいたいな。

月が好きで、青が好きで、星とか海が好きで、早朝か夜中が好きで、堕天使とか闇とか第六感とかそういうなんとなくカッコいいものが好き。

かわいい小動物たちやぬいぐるみ、ゴシックやロリータも好きだし、ハーレーやクロムハーツみたいにかっこいいのも好き。

なんで好きになったのか、思いめぐらすと、週刊少年ジャンプの巻末やチラシに載ってたクロムハーツや、車の広告だったな。

かわいいものたちは、りぼんや友達から借りた少女漫画。

そして、ある年のクリスマス、あまりに身をやつさない僕に業を煮やしたのか”サンタ”が贈った『彼氏彼女の事情』。

月が好きなのは、タイトルは忘れてしまったけど、いつか読んだ本の表紙に書かれた満月がとてもきれいで、月っていいなって思ったから。

僕が好きなものの背景には、本が密接に関わっている。

だから、本がなければ僕はこんなにも色んなものに興味を持たなかった気がする。

じゃあどうして本を読み始めたのって言われたら、生活の身近に本があったからって思う。

本がいっぱい家にあった。読めばほめてくれた。喜んでくれると嬉しい。読み聞かせもしてくれた。

子どもって単純で複雑で、当時の僕がどこまで考えてどんな気持ちで本に接していたのか、僕にはもうわからない。

わかるのは、今でも僕は本が好きで、暇ができるとついついkindleや本屋、図書館、家にある本に手を伸ばす。

なぜか切っても切り離せない関係のようだ。

今日も色んなものへの興味は尽きない。

新たな本を読むことで、また別のものへの興味がわく。

本は僕に新たな世界を見せ、僕はまんまとそれに釣られて、のめりこんでしまう。

本ってすごいねっていうお話。

なんやかんやいっぱい書いちゃった。書こうと思えば書けるじゃん。やるじゃん僕。

おしまい。またね。

あおと異常

久々に思ったことを書こうと思い立つ。僕という人間はサボりだすととことんサボろうとするのか、「書きたくなるまで待てばいい」なんて悠長に構えていたら年を越していた。今後はおしりに火をつけるためにも、強制的な習慣としたほうがいいだろう。

世の中のニュースを見ていると、正常と異常は改めてよくわからない日本語だと思う。人それぞれ変なところは少なからずある。それが他人に害をなすと糾弾される。

精神的な病気も線引きがあいまいで、認定されていない異常は数多く存在する。個性なのか病気なのか。本人の自覚の有無次第では、調子や性格で片づけきれない。

あおはどうなのかと言われると、おそらく、正常でないという自己判断をしている。馬鹿と天才は紙一重という言葉があるように、一つ階段を踏み外せばいつでも誰もが異常と手を結ぶ。

異常への対処もそれぞれある。個人的見解を言わせてもらえば、馬が合えばからみ、範疇から逸れれば無関心でいればいいと思う。

正義を振りかざし主語を大きくし、ヒーローになりたがる人。事柄をことさらに誇張し風呂敷を広げすぎた結果引くに引けず、泣き叫ぶ人。矢面に立つ決断ができずに片隅でくすぶる人。日頃の温厚さからは想像もできないくらいに大爆発する人。

個人主義が市民権を得、昔ならば直接意見できなかったことも気軽に言えるようになった。発信が気軽になりすぎた。空想の書き手も増え、アメリカンドリームならぬアイドルドリーム、配信ドリーム、歌い手ドリーム、声優ドリーム、夢のなろう作家なんてものも一般化されつつあるような気がする。搾取する側もアンダーグラウンドも隠し方が巧妙になり、警察とはイタチごっこを続けている。

なんて異常な日本になったんだろう。言葉は変遷する。時代も動く。若い気でいたがすっかり老いた気もする。

僕の思いとして書いた文面も、どこかで誰かの言った何かを想起させるかもしれない。それくらい発信過多だから。情報を追っていると、ふと、僕が発信しなくても僕の思いに近しい何かがもう世に出ていて、必要ないのではないかと思わされる。

遠い未来、発信された電子記録たちはどのように残るのだろうか。漢文古文のような「紙」ではないものたち。伝言ゲームのように違法アップロードされ、編集され、捻じ曲げられ、部分的に残って別の解釈がつく。そして、新しい時代に受け入れられたり、排除されたり。

異常が続けば正常になる。違和感が続けば、紆余曲折を経てどこかで受け入れられるようになる。これからなくなる仕事、新しくできる仕事。文化から取り残されないよう、どこまでしがみつけるだろう。どこまで抗えるだろう。

許容範囲の広さには自信があるつもりでいる。古の中学二年生、時代錯誤甚だしいエエカッコシイは、今後ともバージョンアップを図り続けたい。老害になりたくない。うっとうしがられたくない。あわよくばなるべく多くに好かれたい。願望ばかり募る。

無知の知というように自覚するだけまだマシではないか、と勝手に慰め、これからも自己の異常と付き合い続けていこうと思う。

よろしければ見捨てずお付き合いくださいな。年始というには鏡開きも済んでとうに明けきってしまったが、年始のご挨拶ということでどうかひとつ。

あおと月

寝つきの悪い夜見た月は、満月でもないのに丸く見えた。

月が好きだ。

「月が追いかけてくる」

小学生、もしかしたら中学生くらいまで幻想を抱いていた。

20年以上過ごした故郷は、昔と比べすっかり明るくなって、でもそれでも東京の空と比べれば格段に星が綺麗に見える。

月は手に届かなくて遠くて儚くて、太陽の手によってしか輝かない。そんな月と自分とを重ねていた節がある。

『なおしほし』の尚志もこんな心境で星を眺めていたのかしら。貝殻は手元にないから、僕には音も声も聞こえない。

彼らのママであり母でありパパであり父である僕は、親として彼らを見届けてあげたいと思うし、真っ当に進んで欲しいと思う。

月の斜め上の星はなんていうの。少し離れて真横に見えるのは。星座盤を眺めてもいい加減な僕にはわからない。

誰も通りやしないのに、街灯がいやに明るくて興ざめする。こんな住宅街で、こんな田舎で。明るくしなきゃならない世の中の風潮に辟易する。

でも月はぼんやり、「まあいいじゃない」とささくれ立った僕を包み込む。

街灯よりも眩しいのに、いやにならない天然の灯り。

きっと月にはたくさんの色が溶け込んでいて、夜にはもっとさまざまな色が混ざりあっている。

月の絵を描くことがある。まんまるのそれは白、黄、黄緑、青、茶、黄土色。日によっては朱色や赤を強めて。

何度描いても整わなくて、僕には絵の心得がないからそれは当然なのかもしれないけれど、少しさみしい気持ちになる。

この手に月を収めたいのではない。月は決して手の届かない高みにあってほしい。

ずっとさみしいひとりぼっちのおつきさま。ぽっかり孤高。

月は大勢の星を従えているようで、実際星たちは気ままに、月よりもずっと遠い場所でそれぞれ輝いている。

月は細く映る日もまんまるに映る日も、ただ他者に照らされる存在。受け身。

漫然と照らされ自我を持たない。そんなものに憧れる。無我の境地。

それにしても、他者の光であれだけ輝く母体を持ち合わせているのは類稀なる幸運の持ち主だ。

存在している場所もいい。太古から地球に住む者は月に想いを馳せてきた。月と人間は密接な間柄にある。

人はなぜ月を見るのか。夜の明かりを担う月に何を思うのか。

人類は実は月からの脱出者で、だから月に帰りたくてつい見上げる。

かぐや姫のようなおとぎ話。もうどこかで誰かの手垢がついてるかもしれない。

満月を見て変化する狼男は、月に向かって吠える虎は、なぜか哀愁を帯びる。いくら丸くても仮に洗面器だとダメじゃん。月がしっくりくる。

月と哀愁はわりと扱われやすい題材である。

同じ月を愛しいあの人も見ているかしら、なんて浪漫も月のなせるワザ。

満月ポン、ミルク饅頭の月化粧、萩の月、幻月なんて月の入った銘菓もいい。

和菓子は白餡がいいね。なんて個人の主観はさておいて、月はやはり切っても切り離せない。

グダグダ言ってると夜明けを迎えそうなので、この辺にしておく。

みなさまも気が向いたらぜひ上を見上げて、月を眺めてみてください。

「まあいいじゃない」とゆるい気持ちになれるかも。

 

あ、そうそう。

「月はくまなきを見るものかは」と残した法師様がかつていらっしゃったが、僕は満月も好きだし欠けてるのも好きなので法師様の意見に賛成。

ま、やっぱり「くまなき」満月が1番好きだけど。

ほー、そりゃケンコーケンコー、なんて言ったら怒られるかね。

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全部、嘘。

 静謐の中に異物が混入する。整えた自我がかき乱されるように。

 まだ朝日の昇らない時間帯に聞こえるバイク音。規則的な寝息。鼻腔をくすぐるのは蜂蜜のように甘い香り。

 

 打刻音が平静を彩りつつ、日常へと回帰させる。他に何の音もしない静かな時間。僕の僕による僕だけの時間。何人たりとも犯すことの許されない大切な場所。

 ディスプレイほど機械的で簡素で私情を挟まない人工物はない。もちろん私情を挟まないのは無機物全般で、無感動のものに感情をぶつける行為は思考を鮮明にさせる。

 自己が他者になり、あたかも空想上の産物であるように仕向けられる。複雑な事象を平易に一般化して同情を乞う。あるいは、別の感情の想起を誘発させる。

 

 君の君にならざる具象化しない断片を、僕は拾い集めようとはしない。無意味な行為よりも有意義なあるいは価値を見出せるようなものを優先させたい。

 誰かの吐き捨てたガムを誰かは拾うだろう。潤んだ目でこちらを見つめる小動物に惹かれ、手元に置きたがるものもいるだろう。それはいずれも僕ではない。

 慈善や奉仕の類に限らず、世の中適材適所という言葉がある。時間が有限である以上優先順位の低いことには割けない。堅苦しい言葉に本音を混ぜ込む。

 

 日光、鳥のさえずり、朝の兆し。日が差すだけでまどろみは明瞭に、面白みのないものへと変化する。明るみに出ることほど無粋で下卑たものはない。

 懐に飛び込むならばどうぞお好きに。こちらからは必要最低限の干渉に留める。面倒なことはどうか持ち込まないで。曖昧なままで終わらせてしまって。

 薄い雲に紛れてタップダンス。響き渡る軽快な音に合わせて穴が開く。踏み外してしまわないように慎重に羽目を外す。

 洗濯機の中で回るのは理性と倦怠感。浮遊するのは本能と嘘。僕らにしか通じない暗号を考えて。でも、きっと次には忘れているからまた作り直そう。

 詩的に情緒あふれていても、暗喩は仄暗い穴の底で隠れている。包み隠すのは後ろめたいからではなくて、説明責任や義務を放棄している印。所謂人ならざるもの。

 

 ようやく世間一般の朝が始まるとき、僕らの朝は終わっている。日の出とともに溶けてなくなってしまう。透き通った抜け殻がカーテンの隙間から漏れる光に照らされる。

 いつか童話で見た馬鹿には見えない服のように、覗かれた先に僕らは映らない。影、地中に埋まる蝉、地底に住むもの、海中に住むもの。闇の周波数を抱くものたち。

 黒は絶対王者ではなく、恐れ慄き震えあがりながらもその場に留まる。覇者となるその日を夢見るのではなく、機会を伺い耐え忍ぶ。

 

 ジョークの分からない人は嫌ねと女王様は鼻で笑い、艶やかな唇をこちらに向けて見下ろす。

 虚言が先か欲求が先かそれとも階級か。思惑が交差し空回り。

 

「お嬢さん、お会計を済ませたかい?」

 紳士は軽やかに、但し警戒心を込めて可憐なマドモアゼルを嗜める。

 この世に無料などというものは存在しない。思考も時間も有限かつ有料。対価に貴方は何を支払うか。

 ここまで来ればもう大丈夫。僕の妄言は妄言のまま高らかに詠唱される。

 

 全部、嘘。どこかに真実味があったなら、それは貴方が現実と重ね合わせたに過ぎない。こちとら、それをウリにしているのでね。さて、お代は何かな。